SNSから子供たちを守る 加害者にはならないように
今回の記事は子供達をSNSから守るための私達大人がすべきことについてです。
ネット利用が低年齢化し、子供たちにとってなくてはならない存在となったのがSNS。
SNSは仲間内での連絡を取ったり、自己表明のツールであったり、社会に参加し、自分の存在意義を確かめるためにも欠かせないものです。
SNSは誰かに会うこともなければ、大勢の人の前で声を出すこともなく自分の発言を広く知らしめることができます。
手のひらの大きさのスマホに、ささやきもしない静かな中でさえ、どれだけ大きな声で叫ぶよりも言葉を伝えることができてしまうのです。
みなさんはどんな言葉を人に伝えたいですか?
できれば、誰かを幸せにできるような言葉を伝えられたいですよね。
誰だってそう思いますよね。
子供達には、誰かを幸せにする言葉、勇気を与えるような言葉、感動するような言葉、誰かの命を救えるような言葉を使って欲しいですね。
なのに何故言葉による暴力のようなものが起こってしまうのでしょうか。一緒に考えてみましょう。
言葉で人が殺せてしまう世の中
SNSで他人を誹謗中傷することが、今、社会的に問題視されているのは皆さんもご存知でしょう。
法改正をおこない厳罰化していこうという流れになりつつあります。
そんな社会のサポートが整うまでは、今の状態が継続して行くでしょう。
言葉というナタのようなものを振り回す我が子の姿を想像したことはありますでしょうか?
みなさんも間違いなく、そんなことを想像だにしないと思います。
どうやって言葉を使って誰かを苦しめることができるのか、考えてみましょう。
SNSで何を発信する? 意味のある発信と意味の無い発信を区別する
「意見」と「反応」という区別でSNSの発信について詳しく説明している本があります。
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この本の中では、意見の表明にこそ意味があり、単なる反応には何の価値も無いと説明しています。
ご存じの通りSNSでは自身の発信に対して、他人が書き込みをすることができます。
書き込みとしては次のようなものです。
例えば、ツイッターなどで「私は感染予防には不織布のマスクが効果的だと思います」と発信したものに対して、
「そんなわけ無いだろ」
「自分の好きなのでいいんじゃない?」
と2種類の誰かの書き込みがあるとします。
これらの発言は単なる反応であり、意見では無いのです。
反応とは、簡単に言うとテレビを観ていて、
「ばっかじゃないの?」
「だっさ〜」
とかの類のものです。
「私は感染予防には不織布のマスクが効果的だと思います」に対して意見として書き込むとすると、
「私も感染予防には不織布のマスクが効果的だと思います」肯定意見
「私は感染予防には不織布のマスクが効果的だとは思いません」否定意見
この2つのどちらかの立場に立つことです。
しっかりと、自分の、立ち位置を明らかにして発言しないものには価値がありません。
「そんなわけ無いだろ」
「自分の好きなのでいいんじゃない?」
これらの「反応」はSNSが無い時代、テレビに向かって悪態をつく程度で済み、誰に何の影響も及ぼさなかったものです。
今やSNSで簡単に「反応」を書き込めるので、厄介なことになります。
意見を言うことは勇気のいる行動です。今や群がるように「反応」が飛び交う世界では「意見」は称賛されるべき行動とも言えます。
誰もが意見を言えないような社会は幸福でしょうか。無意味な反応はみんなで守らないといけませんね。
そして意見を言う人になるのか、反応するだけの人になるのか、この考え方はこれから社会に出る子供たちにはとても重要なことなのです。
私達大人ができるうちにコントロールしてあげないといけません。
面と向かって言えない一言は、ネットでも言うべきではないのです。
わざわざ他人の庭に向かって、「その服ダサいね」なんて言う人はいませんよね。
しつこくそんなことを庭越しに言われたら、警察を呼びますよね。
SNSも同じことです。
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SNSのトラブルはなぜ相談しにくいのか
SNSでは本当の自分を自由に表現することができます。匿名で表現することもできますし、実名でもできます。
誰に気兼ねなくできることは、逆の発想で言いますと、気兼ねする人の前では決してできないもの、恥ずかしくてやらないものでもあります。
日記などを親や知人に見せたくないのは、日記の中身を読まれたら恥ずかしいからです。
SNSも日記と同様に、親などには知られたくないものです。
今、ネットで執拗に嫌がらせのような行為を受けているとしてもなかなか身内や知人には打ち明けにくいのです。
知られたくない、知られると恥ずかしい目に合うのを避けたいからですね。
どうすれば子供達は何事も打ち明けてくれるのか
どんなことでもですが、いざという時になってからでは遅いことが世の中多いですね。
普段から子供達の心を開くための、親としての行動を心掛けておくのが良いでしょう。
それはどんなことでしょうか。
無駄なことはやらない
過去のことはどうしようもありません。
失敗して今更どうしょうもない過去の事は完全に無視しましょう。
特に学年も上級、中学生以上だと、失敗は本人が最も理解しています。
問題が発覚し、頑張って打ち明けたのに、非難され、叱責されるのを恐れています。
非難、叱責はやめておきましょう。
今から何をするかだけを一緒に考えましょう。
子供からすると、非難、叱責しない親の行動に申し訳無さ、ごめんなさい、ありがとうの感情が入り交じり、子供の見る目が変わり始めます。
まず親がするべきことは、子供達の心を開かせることです。
部分的に取り繕った話では問題は解決しません。全てを明らかにさせないと遠回りしてしまうのです。
自分の子供の心を開くこととはなにか?
それは私達親が答えを持っているのです。
加害者にならないためには
日頃から子供達との会話で心掛けることは、「反応」から「意見」を導き出すことです。
きちんと自分の意見は何か?を問うところまでコミュニケーションしてみましょう。
「全然おもんない〜」
「だっさ〜」
その理由を聞き、意見まで育ててあげましょう。
そういった訓練をすることで、単なる反応をネットで発信するだけの行動から、自分軸で意見を発信する行動に変化していくようにするのです。
まとめ 価値のある発信者に育てる
これから先、未来に向けては、ネットでの発信は誰もが必要でかつ求められる社会になっていくでしょう。
自分が何者で、どんな考えを持っているか、社会からの評価が、人間の価値として捉えられる方向に向かっています。
そうなると当然、発信した内容には責任が伴い、その是非は問われることになります。
子供達の素晴らしい未来のために、素晴らしい意見を持ち、それを社会に広めるような行動をするようにさせてあげましょう。
誰もが発信する社会です。
発信がその人の存在価値を表すものさしになります。
子供達の発信した意見は私達大人が守ってあげましょう。
私達大人に何ができるのでしょうか。
簡単です。
子供達に最高の素敵な言葉でたくさん語りかけてあげましょう。
子供達はいつも耳で聞いている言葉を使って話します。
子供達が素敵な言葉をたくさん使うのは、きっとその親が素敵な言葉をいつも使っているからでしょう。
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