いじめ問題を考える 鏡の世界に見えるのは誰の姿なのか
いじめが社会的に問題視されはじめてどれ程の月日が経ちましたでしょうか。
いじめは未だ無くならないですよね。無くならないどころか実態すら正しく認識されていないありさまです。
いじめは駄目だから無くそうと言うのはとても簡単です。でもそれだけでは無くならないのですね。
今回の記事では「いじめ」について少し考えてみましょう。
みなさんも自分の子供の行動の中に自分自身の姿を見つけた経験はお持ちでしょうか。
子供たちは親や大人を見て育ちます。
大人が誰かをいじめていたら子供たちはどう思うのでしょうか。想像してみましょう。
加害者は何故いじめをするのか
事件となったいじめの加害者については原因追求がなされます。当たり前のことですね。
テレビのニュースなどでは本当にひどいいじめの事件が報道されます。誰もが揃ってこれはひどいという意見で一致します。
たとえいじめをやっている当事者であっても、いじめはいけないことの認識は必ずあるはずです。正常な心ある人間なら誰しもそうです。
みんながいけないことと思っているのにどうしていじめが起こるのでしょうか。
いじめが生まれる土壌について深掘してみましょう。
子供たちは誰を見て育つのか、お手本はいつも大人だから
どうして学校でいじめが起こるのでしょうか。子供たちの世界だけが特別な世界なのでしょうか。
決してそんなことはありませんよね。大人の世界でもいじめは存在します。
大人の社会では言い方が変わります。「ハラスメント」と呼ばれていますよね。
子供たちのいじめだけが社会で問題なのではないのです。
子どもたちは私たち大人のやっていることを見よう見まねで行動して成長していきます。
そういう意味では私たちも当事者なのかも知れません。
私たち大人の何がいけないのか 一つでいいので変えてみませんか
兄弟のいるご家庭であればこんな経験はありませんか?
自分とそっくりな言葉を使って、兄弟げんかをしているシーンを目にして複雑な気持ちになること。
少し恥ずかしい気持ちになりますよね。
気軽に子供たちの前でこんな行動をしていませんか?私もやってしまっています。
- 暴言を吐くこと
- 人を罵ること
- ダメ出しをすること
自分の子供たちには言わずにおれないことは日常茶飯事です。
そして恐らく直接誰か他人に言う人はいないでしょうが、テレビに映る誰かに対してなど上のようなことはよくあることです。
もちろん、どんなことを思うことも個人の自由です。聞かれないところで愚痴を言うことはストレスのはけ口としても時には精神や健康に役立つこともあります。
大人は感情をコントロールできます。子供たちはどうでしょうか。
できれば、子供たちの前でも感情をコントロールしてみましょう。
勉強だけが教育でない 親の行動も立派な教育だから
私たちの行動全てが子供たちへの教育です。
私たちの行動は自分の子供たちのみならず、周りにいる子供たち全てが影響を受けます。
家庭の中を変えること、さらに社会を変えることはなかなか難しいものです。みんなが理想の世界の住人のようになって欲しいと願ってもそうはならないです。
たった一人で誰かを変えることすらもとても難しいことです。
それに比べると自分一人の行動を変えるのはとても簡単だと思いますよね。
自分こそが社会と捉えて、少しでも変えてみたいですね。
小さなところでは、誰かの欠点やダメなところに気づく人よりも、いいところに気づく人になりたい。子供たちにもそうであって欲しい。
誰かの不幸に興味津々になる代わりに、誰かの幸せにもっと喜びを感じてみましょう。
テレビなどのマスメディアではとかく誰かのゴシップやスキャンダルに注目がいきます。揚げ足を取るような意地悪な質問を投げたりと、嫌な気持ちになることが少なくありません。
メディアが意地悪なのは、その方が儲かるから、人々の関心事がそちらにあるからなのです。
私たち一人一人が誰かの幸せに注目すれば、きっと社会も変わるのかも知れません。
日本の社会では同じ意見が尊重される
日本人の国民性は一言で表すと同調圧力に弱い性格と言えるようです。
エスニックジョークというのをご存知でしょうか。
それぞれの国の人たちの国民性を面白半分にですが表すジョークです。
有名なものを一つ紹介しましょう。
タイタニックジョークとも言われているものです。
沈没しそうな船の乗員に船長がどういう言い方をすれば海に飛び込んでくれるのかをジョークにしたものです。
アメリカ人に対しては
「飛び込めばあなたはヒーローになりますよ」
イタリア人に対しては
「飛び込めば女性から好意を持たれますよ」
ドイツ人に対しては
「飛び込むことが規則になっています」
日本人に対しては
「みんな飛び込んでいますよ」
みんなが同じであることに安心感や、好ましさを感じるのが日本人の特徴なのですね。
逆に言うと、みんなが違うことに対しては、違和感や不安を感じるわけです。
今まで当たり前と思っていたことも、実はそうでないこともあるでしょう。思い返してみてください。
自分の意見にみんなが同調してくれた。
そこにはもしかしたら、同調圧力が無意識に掛かっていたのかも知れません。
あなたも経験はありませんか?「みんながそう言うから、私もそう思う」と考えたこと。
みなさんは人のいい人だから、自分はちょっと意見が違っていても反論するのもやめてしまうことは多いですよね。
もしかすると、本当はみんな内心は違うと思っているのに場の同調圧力に合わせていたことが結構あるはずです。強い意見の人や、立場の人に対しては尊重してしまいがちですからね。
気付きましたか?いじめの構図と同じことになっていませんか。
いじめを生み出しやすい国民性を私たちは持っているのです。
一人の力で国民性を変えることは無理があります。私たち一人一人、まずは私が様々な価値観を受け入れないといけないようですね。
まとめ
ここまで私たち大人としての行動を見直しましょうという流れでお話をしてきました。
でも、こう思う人もいるでしょう。
きちんと行動を見直さないといけないのは、いじめの加害者の親のすることじゃないの?
私たちは決して無関係ではありません。誰一人もです。私ももちろんです。
全員が当事者。
私やあなたは社会の鏡なのです。
その鏡は直接向かい合う子供だけに映るものではありません。
社会全体の子供たちは、自分の親と、知らないどこかの大人を見て育ちます。
私たちが変わればきっと子供たちの世界も変わります。
子供たちの行動は私たちの行動を再現しているもの。
私たちがいじめをやめないといけません。いじめにつながる思考をやめないといけません。
何をやめればいいの?
やめるかわりにやってみましょう。
何か積極的な取り組みをする必要などはありません。言葉を使いましょう。
言葉で褒めてあげましょう。言葉で許してあげましょう。
無言では相手には何も伝わりません。言葉で行動することが大切です。
時として言葉は武器にもなります。
言葉はとても強いものです。世界は言葉で変わります。
すぐできることからやってみましょう。
自分と違うことこそが価値があることを伝えていきましょう。
こんな言葉はどうでしょうか
「ありがとう」
気持ちは1回じゃ伝わりませんよね。
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