誰もやりたくないPTA どうすれば誰もがやりたくなるのか
誰もがやりたくない、避けて通りたいのがPTA。年が明ける1月から来年度の候補者選びで色々と忙しいことでしょう。
候補者選びの抽選などをやっているPTAも多いことでしょう。
やりたくない理由、やれない理由が山ほど集まってきます。だって誰もPTAの仕事なんてしたくないのが本音ですからね。
どうすれば誰もがやってもいいと思うPTAになるのでしょうか。
やりたくない理由の裏返しに、その答えがあるのではないでしょうか。
誰もがPTAをやりたくない理由とは
建前の理由は数えられないほどありますが、PTAが『無償の仕事』であることが一番の理由でしょう。
よく似た言葉に言い換えるとボランティア活動です。
みなさんはボランティア活動をされたことはありますでしょうか。一度もボランティア経験のない人がいきなり誰かから、あなたはボランティアしていただくことになりましたなんて言われると反感を感じるのは無理もない話でもあります。
だったら、これを有償の仕事にはできないのでしょうか。
最初からPTAを有償にするのは論外と言う固定観念があります。現実の社会では自分達ではできない仕事は誰かに頼んでしてもらいますよね。
現代社会で誰かに仕事をお願いするのに、タダでやってもらえますか?とは普通は言わないものです。
PTAはボランティアの様なものだからと言って、押し付けのボランティアになるのは良くないことです。
ボランティアの精神が存在してこそ、ボランティアをするべきです。
しかし、誰しもがそういう精神状態にはなれません。日常生活でのゆとりがあり、毎日が充実した気持ちでいっぱいの人だけです。
自分のことで精一杯な人に、到底、他人や社会の役に立つようなことを行うような、心に余裕が無いとできないことを求めることは酷なことです。
少し違う視点で考えてみましょう。
なぜ私達は日々働くのか。
それは日々の生活をする上で、労働することにより収入を得ることが欠かせないからです。
労働に対する対価が存在するから、毎日朝から晩まで身を粉にしてまで頑張るわけです。
賃金の発生する労働でもなく、自発的な精神によるボランティアで無いものは極端な言い方になりますが、それは奴隷に他ならないかも知れません。
本当に嫌嫌やらされる奴隷みたいなものではなく、やりたい動機の持てる仕組みに変えていかないといけないわけです。
そうでない今の間はどうするか。お願いしてやってもらうものには社会では労働としてお金が支払いされます。
今の世の中、労働に対する対価は支払われるべきです。
そういう仕組みを求めていきましょう。
誰がPTAの報酬を支払う?
それではPTAのお仕事を労働と捉え、賃金を求める先はどこでしょうか。
2つあります。
一つは行政、国が支払うというもの。
もう一つはPTA全員が支払うというもの。
または両方です。
逆に効果あり コストが発生することでスリムになる
PTAの運営に費用が必要として、きちんと対価をPTAに属する全員から徴収するとどうなるでしょう。
仕事内容の是非、無駄かどうかなどをきちんと見直していく声があがる可能性があります。
そうなることで本当に必要な仕事に厳選されていきます。
これまでやっていたからとかの無駄なPTAの仕事がどんどん淘汰されていくでしょう。
今は理想と現実の間
労働に見合う対価は、今はまだ理想の話です。
誰もしないから、みんなのために自分がする。いい事をしたら、きっといい事が自分に帰ってくる。
こんな風に思って様々なことを無償の愛のように振る舞えたら素晴らしいことですね。
もしも仮にいい事をしたら必ず自分にいい事が返ってくることが証明されたらどうでしょう。誰もがやりたくないことにこそ、その見返りが大きいとわかったら。。
世の中は一変するでしょう。
誰もがこぞって誰かのために慈善の行動を行う。かつては3Kだとか言われた仕事は誰もが買ってでもやりたい、そんな仕事になる。。
未だに証明されないから、これまで通りの世界なのですね。
ちょっと辛口に言うと、結局、多くの人達は他人事で済ませているわけです。
まとめ 忙しいみんなに感謝
放っておいてもだいたいの物事は進みます。PTAの候補者選びもです。
PTAは学校に通う親御さんは誰もが関わりのあることでありながら、気に食わないから、嫌だからなどの理由で無関心であったり、関わらないようにしている人が多いでしょう。
候補者に選ばれなかったら、ほぼ自分の関心事にはならないような存在がPTAです。
PTAはハズレくじのような存在なのですね。
こんなにも忙しいのに最悪。。
子供のいる家庭で忙しくない人っているんでしょうか。
誰もが私だけ忙しい、特別大変だという気持ちになりがちです。もちろん私もそう思うことが多いです。
少し深く考えてみましょう。PTAの人達はみんな忙しくない人達なのでしょうか。
社会は自分の目の前の人と、全く面識のない人たちで構成されています。
目の前の人にはありがとうと言うことはできます。面識の無い人にはどうやっても言えません。
たとえ来年PTA役員にならなくとも、ラッキーだったで済ませず、声に出さなくても心の気持ちだけでも、ありがとうの気持ちを持ちたいですね。
そして感謝の気持ちは思っているだけでは伝わらないのです。
どんな人にもできることがあります。
ありがとう。
たったこの一言で救われる人もいます。
誰もがなりたいと思うPTAに変わることは理想です。
そんな日が来るまでは、誰からも感謝される仕事がPTAでありたいですね。
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